あるきっかけがあって、エシカル消費について考えていました。
結論から言うと、個人の倫理観に頼らない仕組みづくりをしない限り、エシカル消費の実現はかなり難しいと思います。
だって、人の倫理観なんて人それぞれで、誰一人同じ基準の人がいないので、いちいちそんなことを考えて生活なんてできないと思うから。
しかも、人間は短期的な利益を求めやすい傾向がある。
例えば、目の前にまったく同じ質の商品があったとして、大半の人は安いほうを買うんじゃないでしょうか。
その高い商品の方が、めぐりめぐって日本経済をよくして、結果、自分の生活がよくなることに繋がるとしても、手に取る商品ひとつひとつすべてについて、それがどのように作られているか、それを買うことでどうなるか、みんながいちいち考えるなんて思えない。
というか、だから法律があるんじゃない?
みんなが自発的に共通の倫理に基づいて行動できるなら、法律なんていらない。
でも、現に法律は存在している。
それでさえ、違法行為をする人は一定数いるし、法律に罰則が定められていても実際に運用されていなかったり処罰が軽いなら、なおさら。
じゃあどうすればいいのか?というと、冒頭の「個人の倫理観に頼らない仕組みを作ろう」となるわけです。
例えば、飲酒運転。(エシカル消費とは少しずれますが、根本は同じ)
飲酒運転って、かなり前から問題だ問題だと言われているけど、日本社会から一向になくならないですよね?
これ、個人の倫理観に任せていることがなくならない原因だと思うんですよ。
全自動車にアルコール検知器の設置を義務付けて、アルコールを検知したらエンジンが止まる仕組みを作った方が手っ取り早い。
そんなに簡単にいかないってのもわかるし、どんな制度を作っても、制度の抜け穴を探して悪さする人はいる。
ただ、別に悪さをしようと思ってわざわざ抜け穴を探して違反するわけじゃなくて、「ちょっとそこまでだからいっか」と飲酒運転した結果事故が起きて、関係ない人が巻き込まれて死んだりする。
事故を起こした人は自己責任だし逮捕されて処罰されるかもしれないけど、死んだ人は生き返らない。
人の考えの多様性を認めれば認めるほど、個人の考えが違っても誰かが不利益を予防する仕組みを整えないと、少しのズレが取り返しのつかないことに繋がる可能性が高くなる。
私は考えの多様性は認めるべきだという立場なので、その違いによって生まれる可能性のある不利益をできるだけ予防するには、仕組みを作ってしまうのがいいと思うのです。
人間は不完全な生き物だから。
こういう記事を書くとき、どうしても色んなことが繋がっているから、どこで区切るか迷っているうちに長くなっちゃうな(笑)