青年海外協力隊でネパールにいます

2018年4月〜2020年3月の2年間、青年海外協力隊としてネパールにいます。2017年4次隊コミュニティ開発。

9/19-9/30 行動メモ

振り返ると今月は、風邪をひいては少しよくなって調子に乗ってぶり返して、を繰り返してしまいました。

結果、副鼻腔炎らしき症状治らず、病院に行くもアレルギーと言われ、アレグラを処方されましたが効いていません。

たぶん細菌性の副鼻腔炎だから、アレグラが効かないんだろうと予想。

いや~、本当に、日本でこんなに風邪引いたことないよ。(笑)

それだけ日本とネパールで衛生面の違いがあるのか、生活習慣のせいなのか、ストレスなのか。

たぶん、全部でしょう。

人生でこんなに風邪引いたことなかったので、これは前も書きましたが、体力や抵抗力が少ない人って生きるの大変だろうな、ということがわかりました。

は~。

 

9/8-9/17 風邪、ぶり返す(行動メモ)

先月も風邪引いて、ブログを書いてなかった10日の間にまた風邪引いて、さらに進行形で風邪引いてます。

今は副鼻腔炎蓄膿症?のような症状が非常に煩わしい。鼻がスッキリしなくて気持ち悪い…。

しかし、熱はないし、何もできないというレベルではないですが。

 

私は子供のときから耳鼻系が弱くて、風邪のときは必ずと言っていいほど鼻からくるし、鼻や耳が痒くなったり、耳だれがでたり、中耳炎になったりしています。

ネパールに来てからは2ヶ月に1回、定期的に風邪を引いて寝込むようになってしまったので、鼻や耳の状態はよくないだろうな~。

8月に体調を崩してから、食事やビタミン剤をサボらないようにしていましたが、こういうのって積み重ねで、改善してもすぐ良くなるわけではない。

しかも、風邪引くと何もできないのでご飯もまともに食べられなかったりで、早く治したくてもできないジレンマがあったり。

体調管理って大事だなあ(当たり前)。

あと、私はネパールに来てから1回も日本に帰国していないので、1年目終わったくらいのときにかかりつけの病院に行くために帰国すればよかったな、と思っています。

定期健診も大事。

こうやって身をもって体験すると、途上国の平均寿命のことや、食事の栄養のこと、食品の流通システムのことなど、色々なことに目が向きます。

もちろん日本にいてもそういう部分に注目することはできますが、環境が変わることによって、目が向きやすくなると思います。

これについては長くなるので、別で書こう。(こういって書いた試しがない奴)

 

人の倫理観に頼る仕組みは欠陥品

あるきっかけがあって、エシカル消費について考えていました。

結論から言うと、個人の倫理観に頼らない仕組みづくりをしない限り、エシカル消費の実現はかなり難しいと思います。

だって、人の倫理観なんて人それぞれで、誰一人同じ基準の人がいないので、いちいちそんなことを考えて生活なんてできないと思うから。

しかも、人間は短期的な利益を求めやすい傾向がある。

例えば、目の前にまったく同じ質の商品があったとして、大半の人は安いほうを買うんじゃないでしょうか。

その高い商品の方が、めぐりめぐって日本経済をよくして、結果、自分の生活がよくなることに繋がるとしても、手に取る商品ひとつひとつすべてについて、それがどのように作られているか、それを買うことでどうなるか、みんながいちいち考えるなんて思えない。

というか、だから法律があるんじゃない?

みんなが自発的に共通の倫理に基づいて行動できるなら、法律なんていらない。

でも、現に法律は存在している。

それでさえ、違法行為をする人は一定数いるし、法律に罰則が定められていても実際に運用されていなかったり処罰が軽いなら、なおさら。

じゃあどうすればいいのか?というと、冒頭の「個人の倫理観に頼らない仕組みを作ろう」となるわけです。

例えば、飲酒運転。(エシカル消費とは少しずれますが、根本は同じ)

飲酒運転って、かなり前から問題だ問題だと言われているけど、日本社会から一向になくならないですよね?

これ、個人の倫理観に任せていることがなくならない原因だと思うんですよ。

全自動車にアルコール検知器の設置を義務付けて、アルコールを検知したらエンジンが止まる仕組みを作った方が手っ取り早い。

そんなに簡単にいかないってのもわかるし、どんな制度を作っても、制度の抜け穴を探して悪さする人はいる。

ただ、別に悪さをしようと思ってわざわざ抜け穴を探して違反するわけじゃなくて、「ちょっとそこまでだからいっか」と飲酒運転した結果事故が起きて、関係ない人が巻き込まれて死んだりする。

事故を起こした人は自己責任だし逮捕されて処罰されるかもしれないけど、死んだ人は生き返らない。

人の考えの多様性を認めれば認めるほど、個人の考えが違っても誰かが不利益を予防する仕組みを整えないと、少しのズレが取り返しのつかないことに繋がる可能性が高くなる。

私は考えの多様性は認めるべきだという立場なので、その違いによって生まれる可能性のある不利益をできるだけ予防するには、仕組みを作ってしまうのがいいと思うのです。

人間は不完全な生き物だから。

こういう記事を書くとき、どうしても色んなことが繋がっているから、どこで区切るか迷っているうちに長くなっちゃうな(笑)

 

9/5 新隊員が来た

任地にまた新隊員が来ました。

私が来たときは私一人っきりだった任地に、今は5人のJOCVが住んでいます。

大所帯になったなあ。

郡全体ではもう一人新隊員がいて、バザールから1時間くらい離れたところの村の学校に配属されています。

日本人だらけじゃん!(笑)

新隊員は全員学校配属だし、連携も考えられるね。

昨日も調整員含めてご飯食べながらお話したけど、先日のプレビジのときも思ったのは、

まだ初々しくて、話していると「べき論」が強そう、ということ。

精神的に参ってしまわないか、余計なお世話ですが、少し心配。

これから2年間、がんばれ。

 

9/3 割り切れないこと

シライのタリムをしばらく続けていますが、いまだ割り切れていないことがあります。

それは、服を製図どおりに作らないこと。

は?と思うかもしれませんが、こういうことです。

服作りでは、

サイズを測る

→サイズに基づき布に製図(このときに縫い代などを足したものを書く)

→製図どおりに布を切る

→縫う

→完成。

というのが一般的な流れだと思います。

しかし、私のタリムでは、

サイズを測る

→サイズに基づき布に製図

→製図どおりに布を切る(縫い代などを足したり足さなかったりする)

→縫う

→縫い代が適当なので測ったサイズと合わなくなる

→切りなおしたり詰めて調整する

→縫う

→完成。

いや、なんで?!

製図の意味…

なぜ製図をきちんと作らないのかは理解できませんが、製図がでたらめだという事実はいい加減私も学習しているので、切る前、縫う前にいちいち「この次はどうするの?」、「こうでいいの?」と聞いても、切った後や縫った後に見てもらうと、「違う。ここはこうしなきゃいけなかったのに。」と言われる。

だから、事前に聞いたんじゃ!

あ~コミュニケーションって難しい。

向こうは職人であって教えるのが専門ではないので(じゃあ人に教えんな、とも思いますが)、彼女の頭の中でわかっていること、当たり前になっていることは、私に言わなかったりする。

でも私は素人なので、洋裁の当たり前なんて知らない。

そういうミスコミュニケーションがかなりの頻度で起きるので、ストレスです。

嫌なら辞めればいいのですが、まだもう少しがんばります。

愚痴を言っても何の解決にもならないことはわかっているので(前記事でも言ったように)、こういうことにぶち当たっても何も思わず、淡々と解決に向けて動くか、そういうもんだと割り切って感情が高ぶらないのが一番精神の安定にはいいことだと思うのですが、私はまだその境地には達していません。

まあ、誰もがそんな簡単に悟れたら、世界平和なんかすぐ達成できそうだけど。(笑)

こういうことがあるたびに、経済や教育に関連付けて考えてみたりするのですが、長くなるので別記事で。

冷たい人

前の記事の続きです。

「自分のことは自分でやる」

この考えは、私が人をサポートするときの姿勢にも深く関わってきます。

私は、「自分のことは自分で」という気持ちがかなり強いのと、自分が人を助けることだけで自己満足しない性質なので、かわいそうに見える人がいても無条件で助けることはしません。

例えば、私は道端の乞食にお金や食べ物をあげません。

彼らの生活が大変そうなのはわかるし、そういう状況なのは彼ら自身のせいじゃないかもしれない。

けど、私はそういう人にお金をあげることで自己満足しない。

自己満足という見返りがないから、お金をあげない。

冷たい人に見えるかもしれないけど、私はそういう人間です。

 

平等な世界なんかない

ネパールはアジアの中でも最貧国だ。

日本と比べると、色んな環境が圧倒的に悪い。

だから、日本人とネパール人が同じ目標を達成しようとしたとき、ネパールの人のほうが労力がかかることが多い。

でも、それは仕方ないことだと思う。

世界は平等ではないから。

ネパールに住んでみて、それをひしひしと感じる。

だけど、相対的に環境が悪いことや格差があることが確かな事実だとしても、嘆いているだけでは、何も変わらない。

嘆くことが悪いとか止めろとかは思わないし、不利な現実に対して怒ったり悲しんだりすることは当然だと思う。

けど、嘆いたり怒ったり悲しんだりすること自体に、現実を変える力はない。

自分のせいじゃないことでつらい立場におかれていても、そこから抜け出すためには自分が動いてなんとかするしかない。

神頼みも人頼みもいいと思う。

これらも現実を変えるための行動のひとつだ。

でも、それでだめなら他の方法を試し続けて、目標を達成するしかない。

どこで諦めるかも、自分次第。

諦めることについても、悪いことだと思わない。

というか、私が関わらない人の判断に対して、私がどーのこーの言うものでもないんだよな。

この記事を書くのに、5日くらいかかってるけど、ぜんぜんまとまらないので、投稿しちゃおう。(笑)